2001年 平和行事基調講演要約「み心のアルぺ」

2021 年 平和行事基調講演要約 「み心のアルペ」

 

山口カトリック教会 ルイス・カンガス神父

 

1.アルペと私のかかわり

1950 年私がイエズス会修練中間期を終える頃、アルペ神父が世界のイエズス会に

向けて手紙を出しました。

それは、日本の国民は敗戦後、復興を目指しているものの、目標を失っている、

との内容でした。 私の心は燃えました。目標がない事は死を意味しますので。

ただ、日本語は難しく、語学に拙い私は諦め かけましたが、心が落ち着かず

黙想をしました。すると日本に行く気持ちが勝り、直前に申し込み、承諾の

返事を受け取りました。 来日以降 2 年間日本語を学んだものの上手にならず、

さらに喘息を発症し日本での宣教を止め帰国し かけたところを、アルペ神父の手で

救われました。アルペ神父の指導の下、日本復興のため諸外国に支 援を求めるため

様々な役割を担いました。こうして、私はアルペ神父の身近でその姿を見て、

よく神父を 知ることになりました。

 

2.み心のアルペ、祈りの人

アルベ神父は日々ミサの前に必ず祈っておられました。

私が、5 時に祈りに行っても、それが 4 時 30 分 であっても、その祈る姿はありました。

4 時からミサの始まる 6 時まで祈り、ミサの後も 1 時間は祈ってお られました。

イエズス会総長就任後も小さな部屋を自分の聖堂と称して、その中で光を浴びながら

祈って おられました。 また、み心の人であるアルペは主イエスに親しい方でした。

明るく、よく働き、上手に歌うこともできまし た。また、ユーモアたっぷりでもありました。

 

3.み心のアルペ、神の思し召しの人

神がその思し召しを果たされるために、アルペ神父に目的を与え、

そして神もその目的を叶えるために 働かれたのです。

それは、アルペ神父に医学を学ばせ、多言語を習得させ、

広島の原爆投下時に広島長 束の修練院長であったことです。

それらの事を詳しくお話しします。アルペ神父は、マドリード大学で

医学を学んでいた時期、もちろん優 秀な学生でしたが、ルルドを訪れました。

医学研修所の仕事を見学しているその目前で、医学では治療 不可能な人たちが

奇跡的に快復したその瞬間をアルペ神父は目撃しました。それを契機に

イエズス会に 入会する決意をしました。その後、母国スペインを離れ、

ベルギーやフランス、ドイツ、アメリカと各国を巡 り、その度に神は

アルペ神父に言葉の準備をさせたのです。ヒロシマ原爆投下時、

12 時間後には市内中 心部に入り、言葉にできないほどの光景、

そして完全に破壊された町が横たわっているのを目の当たりに しました。

それから、赴任先の長束修練院に 150 人もの被爆者を収容し、

学んでいた医学知識を活かし て治療に当り、殆どの人を救ったことは皆さんご存知でしょう。

その後も、世界中を巡り、支援を求め、また被爆時の悲惨な状況や

被爆者の医学的実態を話して歩いたことも、神の大いなるご計画と言えましょ う。

私もアルペ神父に随行し、多くにの仕事を信頼の心をもって任せてもらい大いに

喜びを感じました。 こうした活動により、アルペ神父は世界中で名声を得ることになり、

1965 年イエズス会総長に選出さ れました。

 

4.おわりに

1991 年 83 歳でアルペ神父は帰天されましたが、アルペ神父には

大きな役割が残されていると私は思 います。

それは、今や地球規模で難題になっている難民問題における旗振り役です。

アルペ神父は、ベト ナム難民「ボート・ピープル」に対応し、

イエズス会難民サービスを創設しています。預言者であったとも 言えます。

世界に大きな問題が起こる時、神は旗を振る人を準備されます。

その人は聖人と証明されるこ とが大事です。その旗の下に皆が集まります。

今、アルペ神父はこの旗印となるべく特別の使命を果たす ために、

私はアルペ神父が列福され、そして列聖されることを心から祈っています。

すでに 2012 年から 調査が開始されています。

列福されためには、アルペ神父による取り次ぎによる奇跡が一つ、

列聖されるためにはさらにもう一つ 奇跡が証明されることが必要です。

このことに関係する事をご存知の方は、広島長束の修道院か東京麹 町

イエズス会までご連絡ください。お手元にアルペ神父の列聖を求めるための

御絵が配られていると思 います。 どうぞ皆さんも私と共にお祈り下さい。

(記録:教区平和行事実行委員会)