12月19日、ルカ福音書1章。
『何によって、わたしはそれを知ることが
出来るのでしょうか。私は老人ですし、
妻も年をとっています。』
今日は、このザカリアの言葉を考えてみました。
昨日のヨセフとは本当に反対の受け答えです。
私たちも、やはり、ザカリアのようですね。
こんな言葉を告げられたら、黙って受け入れ、
心に留めたヨセフの素晴らしさを、改めて感じます。
では、私たちは、神さまの言葉をどのように
受け止めたら良いのでしょうか。
私たちの思いを超えてご存じであり、すべてを
包んで下さる神さまの言葉を、素直に聞くことの
難しさを感じます。心では分かっていても、
弱い私たちです。神さまとの対話ではなくとも、人間関係の中でも、
相手を許すことの難しさ、自分は正しいと思っていても、それを超えて、
相手を包み込む心を持ちたいです。
そのときの苦しみは、神さまによって、最後には、感謝と恵みに変えられるからです。
今日の答唱詩編に、私の好きな言葉がありました。
「神のはからいは限りなく、生涯私はその中に生きる」(詩編139)
私たちの思いをはるかに越えた神さまの心を、今は知ることが出来なくても、
最後には恵みとなることを信じて歩みたいですね。
毎日の生活の中で、不和に陥っている人と和解しましょう。
和解できなくとも、その人のために祈りましょう。
待降節は、そのような季節でもあるのです。
そして、真っ白な心で、光輝く幼子イエスさまを迎えましょう。